2011年11月11日金曜日

トルコ大地震:死者600人以上

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● NHKニュース



NHKニュース 2011年11月10日 20時29分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20111110/t10013881241000.html
 
トルコ地震 日本人男性死亡
 
 トルコ東部で日本時間の10日朝早く起きた地震で、東京のNPO「難民を助ける会」の日本人のメンバー2人が宿泊していたホテルが倒壊し、このうちの女性1人は救出されましたが、もう1人の男性は、がれきの中から運び出されたものの、病院で死亡が確認されました。

 トルコ東部で、現地時間の9日午後9時すぎ、日本時間の10日午前4時すぎ、地震の規模を示すマグニチュード5.6の地震が発生。
 トルコ政府によりますと、これまでに、震源に近い都市ワンにあるホテル2か所を含む25棟の建物が倒壊しました。倒壊したホテルの1つには、東京のNPO「難民を助ける会」の宮崎淳さん(41)と近内みゆきさん(32)の2人が、およそ2週間前に同じトルコ東部で起きた地震の支援のために宿泊していました。
 このうち、宮崎さんは地震発生からおよそ13時間後、日本時間の10日午後5時すぎに、ホテルのがれきの中から運び出されましたが、日本時間の10日午後8時前、トルコ政府から現地の日本大使館に、ワン市内の病院で宮崎さんが死亡したと連絡が入ったということです。
 一方、近内さんは、日本時間の10日午前、がれきの中から救助され、頭にけがをしているものの、意識ははっきりしており、命に別状はないということです。
 トルコ政府によりますと、これまでに宮崎さんを含む8人が死亡したほか、数十人ががれきの下に閉じ込められているということです。
 トルコ東部では、先月23日に起きた地震で、600人以上が死亡し、今回の地震で倒壊したホテルには、災害支援の関係者や報道機関のスタッフなどが宿泊していたということです。

 東京・品川区にあるNPO法人「難民を助ける会」は、午後8時すぎから会見を開き、宮崎さんについて、
 「日本時間の午後7時40分ごろ現地スタッフから宮崎淳さんは、ワン市内の病院で死亡が確認されたという情報が入った。
 宮崎さんを知っているスタッフが顔を確認したうえ、持っていた名刺もからも間違いないと判断している」
と説明しました。
 「難民を助ける会」の柳瀬房子会長は、
 「今回のことは残念で心からお悔やみを申し上げご冥福をお祈りしたい」
と述べました。
 「難民を助ける会」では、大分市内に住む家族にも連絡したということですが、家族は突然のことで、現地に行くかどうかは決められる状況ではないと話したということです。
 「難民を助ける会」では10日夜、スタッフをトルコの現地に派遣し、現地時間の11日午前から対応に当たることにしています。
 「難民を助ける会」によりますと、宮崎さんは、大東文化大学の法学部政治学科を卒業後、大分県庁の職員として働いていたということです。
 その後、フィリピン支援のNGOに勤務したあと、ことし8月から「難民を助ける会」の職員になり、海外で支援活動を行ったのは今回が初めてだったということです。

 宮崎淳さんの弟の修さんは、10日午後9時前、大分市にある宮崎さんの実家の前で取材に応じ、
 「先ほどNPOの代表の方から連絡を受け、私が母に、死亡したことを伝えました。
 母は泣き崩れている状態です。
 お盆に会ったのが最後でしたが、一緒にいた私の子どもをあやしてくれました。
 まじめで、とても優しい兄でした。
 地震があったのは誰が悪いわけでもなく、誰を責めてもしかたがないので、今の現実を受け止めるしかないと思っています。
 これからどうするかはまだ分かりません」
と、ことばを絞り出すように話していました。




TBSニュース 2011年11月11日 11:26
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4874966.html

トルコ地震、近内さんが救出の様子語る

 10日、トルコ東部で発生した地震で日本人2人が倒壊したホテルに閉じ込められ1人が死亡しました。
 救出された近内みゆきさんが、当時の様子を語りました。

 建物から飛び出して逃げまどう人たち。
 その直後、建物が倒壊し白い煙が上がります。
 日本時間10日午前、トルコ東部の都市・ワン周辺で地震が発生した瞬間の映像です。
 この地震で、倒壊したホテルに宿泊していた東京のNPO法人「難民を助ける会」のメンバー、近内みゆきさんが救出されるまでの様子を語りました。

 「立ち上がろうとした瞬間に大きい揺れがドンと来て、壁が崩れて屋根が崩れて突然、全てが一気に起きて、少しの衝撃があっても、上から突然石が落ちてきたりするので、枕を頭にずっと当てながらレスキューチームが来るのをずっと待っていました」(「難民を助ける会」近内みゆきさん)

 近内さんはおよそ6時間後に救出され、10日夜に首都・アンカラに移動、検査のため病院に入りました。
 近内さんは、先月起きた地震の支援活動のため宮崎淳さんとともにトルコ東部に入っていました。
 宮崎さんも同じホテルに滞在しており13時間後に救出されましたが、その後、搬送先の病院で死亡しました。






2011年11月11日12時21分 読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20111111-OYT1T00563.htm

近内みゆきさん、読売本紙に手記「死ぬのかな」

 9日のトルコ東部ワン県の地震で倒壊したバイラムホテルの下敷きとなり、救出された「難民を助ける会」メンバーの近内みゆきさん(32)が、被災当時の状況などについて読売新聞に手記を寄せた。

     ◇

 バイラムホテルの部屋は温度調節が出来ず、半袖半ズボン姿で本部にレポートを書いていた。
 地震は、まさに一瞬の出来事だった。

 突然の強い揺れに驚き、立ち上がった瞬間、床に全身をたたきつけられた。
 耳にも目にも鼻にも、土やホコリが入ってきた。 
 だが、意識ははっきりしていた。
 がれきの斜面に逆さになって、うつぶせに倒れていた。

 「死ぬのかな。地震でがれきに埋もれて亡くなった人はこんな気持ちだったのかな」。
 真っ暗闇の中で不思議と冷静な自分がいた。
 「このままここでは死ねない。(同僚の)宮崎(淳)さんも頑張っているに違いない」。
 左足首がしびれ始めた。
 体力のあるうちに、足を自由にしよう。
 土ぼこりをかぶった左目をゆっくりとあけ、体を少しずつ動かした。
 がれきを一つ一つ、そっと取り除きながら、自分に言い聞かせていた。
 「この足で難民支援や緊急支援のフィールドを駆け回るんだ」――。

 5年半勤めた読売新聞を9月末で退社した。
 大学時代から抱いていた、国際協力の現場で働くという夢はどうしても忘れられなかった。

 出来るだけ現場に近いところで、現地の人と一緒になって、少しでも生活の改善に役立てるような仕事がしたい。
 そんな思いを実現できると感じたのが、「難民を助ける会」だった。

 最初の大きな仕事が、今回のトルコ東部地震の緊急支援活動だった。

 10月26日に入ったワンでは、毎日、宮崎さんらと朝から周辺の村々を訪れて被災状況を確認し、被災者が何を必要としているかを聞いて回った。

 今年4月、東日本大震災の被災地取材のため、故郷でもある福島に記者として入った。
 10月、「難民を助ける会」の一員として、トルコ東部大地震の被災地支援に加わった。
 そして今回、初めて被災者になった。
 半年余りの間に経験した地震との三つのかかわり方。
 この経験を大切にし、ワン湖を眺めながら同じ夢を語り合った宮崎さんの分まで、意思を貫いていきたい。




ロイター 2011年 11月 11日 11:38 JST
http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPJAPAN-24121120111111

トルコ地震で救出の近内さん「パソコンの光が希望に」

 [ワン(トルコ) 10日 ロイター] 「パソコンの光が希望を与えてくれた」。
 トルコ東部で起きたマグニチュード(M)5.7の地震で、倒壊したホテルから約5時間ぶりに救出されたNPO法人「難民を助ける会」の近内みゆきさん(32)が10日、発生当時の様子を振り返った。

 近内さんは、約600人の犠牲者を出した10月の地震を受け、支援活動を行うため現地入り。
 地震発生当時は、ワン市内にある5階建ての「バイラムホテル」に宿泊していた。

 病院でロイターの取材に応じた近内さんは、がれきの下に閉じ込められていた時の心境について、
 「救助隊を待っている間、
 『ここでは死ねない。将来やりたいことがまだたくさんある』
と自分に言い聞かせていた」
と話した。

 <東日本大震災の恩返し>

 暗闇が嫌いだという近内さんは、恐怖を感じながらも「左目をゆっくり開けることができた時に光が見えた。
 その光はほっとさせてくれ、希望も与えてくれた。
 それは、私が使っていたパソコンの光だった」と打ち明けた。

 また、近内さんは、東日本大震災の際にトルコが行った被災者らへの支援に感銘を受け、恩返しがしたかったと支援活動の動機を説明。
 病院を訪問したトルコのベシル・アタライ副首相に日本に帰るために手助けが必要かと尋ねられると、
 「ここにとどまって活動を続けたい」
と力を込めた。

 今回の地震では、少なくとも12人が死亡。
 近内さんとともに同じNPOのメンバーとして支援活動に参加していた宮崎淳さん(41)も死亡した。




認定NPO法人 難民を助ける会 
1979年に日本で生まれた、政治・宗教・思想に偏らない国際NGOです
http://www.aarjapan.gr.jp/join/event/2011/1111_773.html

2011年10月23日(日)午後1時40分(現地時間)ごろ、トルコ東部でマグニチュード7.2の地震が発生しました。

 10月29日の国連トルコ駐在調整官事務所の発表では、582名の死亡、4,152名の負傷が確認されており、今後も死傷者数の増大が懸念されています。
 難民を助ける会は10月26日に東京事務局から太田夢香、宮崎 淳、近内みゆきの3名を現地に派遣し、被害状況を調査するとともに、支援活動の準備を進めています。
 現地から帰国する緊急支援チームのメンバーが、被災地の様子や難民を助ける会の支援活動、今後の課題などについてご報告します。



トルコ:宮崎淳さんの訃報 2011年11月10日
http://www.aarjapan.gr.jp/activity/report/2011/1110_812.html

訃報

 日本時間の10日未明に、トルコ東部で10月23日の大地震の余震とみられるマグニチュード5.7の地震が発生し、難民を助ける会のスタッフ2名が滞在しているホテルが倒壊いたしました。
 内1名、近内みゆきは、日本時間の10日午前に救出されましたが、宮崎淳は、大変残念なことに、ワン市内の病院で死亡が確認されました。
 宮崎さんは、日本時間の午後5時過ぎに救出され、一時心肺停止状態に陥ったものの、状態が安定し、アンカラ市内の病院への緊急搬送を予定しておりました。
 しかし、搬送準備中にお亡くなりになられたとの連絡を受けました。
 誤報であってほしいと強く願っておりましたが、宮崎さんとともに活動していた複数の現地関係者らがご本人であることを確認いたしました。
 宮崎さんは、今年6月に当会に応募され、8月から東京本部で研修を開始し、9月1日から正規職員となりました。
 志望の動機書には、以下のように国際協力、特に緊急支援に対する熱い思いを語っておられました。

 「東日本大震災の発生により、先進国のみならず、途上国からも支援が寄せられ、如何に世界が共助で成り立っているかを改めて実感させられることとなりました。
 東北地方を含め、世界で緊急の援助を必要としている人々に対して今の自分に何かできるかを考えたとき、これまで公共団体やNGOで行ってきた組織運営管理や広報・啓発活動の経験ならば活かせるのではないかと思うに至りました。
 私は大学院で紛争解決学を専攻し、かねてより平和構築の分野に関わっていきたいと思ってきました。
 今回の震災を受け、平和構築の意味を含めて、世界各地でより困難な状況にある人々を支援する活動に対する思いが更に強くなり、そうした活動を行っている貴会において、微力でも貢献したいと思い、志望致しました。

 平成23年6月8日 宮崎 淳」



 現地で一緒に活動していた当会の太田夢香によりますと、トルコでの宮崎さんは、東京事務局でいつもそうであったように、いつも周囲に気を配りながら、笑みを絶やすことなく、でも生真面目に、精力的に活動をされていました。
 これからも様々な現場で、一層活躍していただく筈でした。
 私たちも宮崎さんの訃報がいまだに信じられません。
 ご家族の方々のお気持ちはいかばかりかと拝察申し上げます。
 心からお悔やみ申し上げますとともに、宮崎さんのご冥福を衷心より、お祈り申し上げます。

難民を助ける会理事長 長有紀枝




NHKニュース 2011年11月13日 4時52分
トルコ政府 空港で宮崎さんを追悼








 「トルコ東部の地震に係る和歌山県の支援について」は下記になります。


和歌山県情報館
http://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/022100/turkiye/zisin.html

トルコ東部の地震に係る和歌山県の支援について

 10月23日(日)にトルコ共和国東部ワン周辺において発生した地震により、甚大な被害が出ているとの報に接し、犠牲となられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被災された方々に対し心よりお見舞い申し上げます。

 121年前のエルトゥールル号事件以来、日本とトルコ両国は困難が生じた時はお互いに助け合ってきました。
その友好関係は政府間にとどまらず、草の根レベルへ広がり、固い絆となって今日に至っており、先般の台風12号災害では、トルコに縁のある方々から支援物資の送付や義援金の募集を行っていただきました。

 日本トルコ両国友好の原点である和歌山県として、被災された方々のお力になりたいと考え、和歌山県では下記の支援を行います。

1.和歌山県として医療チームを派遣する用意があります。
2.駐日トルコ共和国大使館を通じ、お見舞い金を贈呈します。
3.トルコ地震支援に対する義援金を県として募ります。

 なお、10月25日、和歌山県職員が駐日トルコ共和国大使館を訪問し、お見舞金として100万円を贈呈いたしました。
  トルコ共和国の皆様が一刻も早くこの惨事から立ち直られることを心よりお祈り申し上げます。


【トルコ地震にかかる義援金の募集】

義援金名  2011トルコ大地震災害義援金
受付期間  平成23年10月24日~平成24年3月30日
振込先   金融機関  紀陽銀行 県庁支店
        口座番号 (普)396915
        口座名義 和歌山県トルコ震災支援の会
留意事項  領収書の発行を希望される方は、文化国際課国際班
        (電話:073-441-2057)へ申し出てください
その他    「紀陽銀行本店・支店」の窓口での振込については、手数料は無料です。
        この義援金は、所得税法及び地方税法に規定する寄附金控除の対象にはなりません。
  <トルコ地震に係る義援金の受付状況について>
       多くの皆様から、義援金が寄せられています。
       寄託者の皆様に心からお礼申し上げます。

●義援金の受付状況は次のとおりです。
   義援金額計 27,981,763円 (2,548件) 【平成23年11月10日 15時現在】

<トルコ地震に係る義援金の贈呈について>
11月7日、駐日トルコ共和国大使館において、仁坂吉伸和歌山県知事から トゥンチュ・アングル臨時代理大使へ、全国から寄せられた義援金(目録 26,302,327円)をお渡ししました。
 ご協力いただいた皆様に心より感謝申し上げます。



 また、新潟県の「タイ洪水、トルコ地震の県民募金」が始まりました。
 これは、集まった募金をタイとトルコに半分づつ義援するという形のものです。
 期限は今年いっぱいです。


新潟県 2011年11月10日
http://www.pref.niigata.lg.jp/kokusai/1320008539500.html

タイ洪水及びトルコ地震における被災者救援のための県民募金を実施しています

1.趣旨
  現在、タイで発生している洪水では、死者が360名を超え、未だ洪水被害が拡大しています。
 また、10月23日にトルコで発生した地震では、死者が600名を超えるなど、甚大な被害が発生しています。
 本県では、平成16年の中越大震災及び平成19年の中越沖地震に際しまして、世界中の多くの国から多大な御支援をいただき、被災者をはじめとする全県民が復興への勇気を取り戻すことができました。
 本県といたしましても、同じ大規模災害を受けた被災地として人道的立場からも、今回広く県民の皆様に呼びかけて募金を行い、被災者の救援や被災地の復興に役立てていただくことといたしました。
  どうぞ、この趣旨を御理解いただき、多数の皆様から御協力を賜りますようお願い申し上げます。

2.募集期間
   平成23年11月7日(月)から平成23年12月30日(金)まで

3.払込先
   口座名 :タイ洪水及びトルコ地震被災者救援募金
         代表 杉山順爾(すぎやま じゅんじ)
   口座番号:第四銀行県庁支店    普通預金口座1294067 
        北越銀行県庁支店    普通預金口座2006140 
        大光銀行新潟支店    普通預金口座3044587 
        新潟信用金庫出来島支店 普通預金口座1030459 

※銀行窓口、又は信用金庫窓口からお振込みください。
※振込手数料は、同一銀行の本・支店窓口から振り込む場合、又は県内の信用金庫窓口から振り込む場合は無料です。
 (ATMからの振り込みは手数料がかかります)

4.義援金の寄贈方法
  新潟県民からの義援金として、タイ、トルコに半額ずつ寄贈します。

【問合せ先】
 知事政策局国際課 柴田、川崎
 電話(直通)025-280-5098








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